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私のトライアスロンストーリー

My Debut Story

イワサキヒロシ - イワサキヒロシ の場合 -
トライアスロンをはじめたきっかけ

はじめたきっかけ

50代もなかばを過ぎると、60歳以降の日々をどのようにして生きていくのかが気になってくる。私は勤め人ではないので、定年はないのだが、それでも、60歳以降からの暮らしの形は60歳までにつくっておきたい、その暮らしのなかには年老いても続けられる何らかのスポーツがあり、それは50代のうちにはじめておきたいという思いがあった。

一方、私は妻と子供3人の5人家族で平穏に暮らしていたのだが、2007年から2008年にかけて、妻を癌で亡くし、長女はカナダ留学、次女は結婚、長男は大学卒業で家を出るといった次第で、わずか2年の間に一人暮らしとなった。

さて、一人となると、その一人の暮らし方がよくわからない。お酒は好きで、一人居酒屋に出かける回数も増えたが、歳をくって「趣味は居酒屋」なんていうのは私の好みでないこともわかった。

さあてどうする。時は満ちた。スポーツのある60歳からの暮らしに踏み出そう。では何をするか。老人の転倒の危険を考えれば合気道なんていいじゃないか、などとも考えていたちょうどそのとき、2009年のある新年会で、たまたま知り合いの女性が順天堂大学トライアスロン部の卒業生であることがわかり、会話がはずんでスイッチが入った。

「70歳でもやっている人がいますよ」

「誰か教えてくれるのならやってみようか」

「心当りの先輩がいるので連絡しますよ」

となり、その先輩であるATA岩田聡コーチとお会いして、トントン拍子に2009年7月、58歳5ヶ月でATA渋谷(平日)と南行徳(土曜)に入校することになった。トライアスロンに関心があったわけではなく、トライアスロンでなくてはならない理由もなかった。そうした偶然にのることに期待をかけたのだと思う。何もわからぬままに、トライアスロンに飛び込んだ。

トライアスリートになるまで(大会デビュー)

大会デビューまで

飛び込んでみて、まず出合ったのが、あまりにも自分ができないという現実だった。スイムは25メートルがやっとで息がきれる。はじめて乗ったロードバイクは股の痛みに驚愕し、10キロ走って精一杯。これでも高校時代はハンドボールの選手でインターハイにも出場した。走ることにはそれなりの自信があったが、皆さんの走りにとてもついていけない。走って人の背中をみるなんて記憶になかったのに、あっという間に皆さんの背中がドンドン遠ざかり、「アレーッ待ってくれー」と悲鳴をあげる。この現実、この驚きをどうやって受け入れるのか、そこに第一の心の葛藤があった。

その年の9月に銚子にはじめてトライアスロンの大会を見にいったが、正直、自分がレースに参加できるようになるなんて、まったく思えなかった。別世界のことに思えた。

さあてどうする。でも、そこでやめようとは思わなかった。まあ泳げるようになるだけでもいいじゃないか、続けてみないとわからないなど、いろんな思い方で自分をなだめたが、いま振り返れば、やめなかった最大の理由はコーチだと思う。岩田コーチと平野藍コーチの力だと思う。

私からみて、コーチは、こんな私でもレースに出られるようになることに何ら疑問をもっていないように、私に接してくれた。ともかくコーチの言うようにやっていればいいのだと気持ちよく身をあずけることができた。そして、身をあずけてトレーニングに励むなか、なんらかに気づき、目ざめ、遅々ではありながら上達していく日々が刺激的であった。だからATAの練習は続けてきて今日にいたっている。もちろん共に練習に励む仲間の存在も大きい。大きく異なるレベルを超えて気持ちよく励ましあう雰囲気がここにはある。

それとアスロニアショップの遠藤さん、鈴木さんのサポート。考えてみれば、実にデラックスなクルースタッフを得ているわけで、わからないことがあれば店に飛びこめばいいと思っていて、そうしている。皆さん、これからもよろしく。
年が明け、2010年1月はじめてハーフマラソンやデュアスロンの大会にでてみた。でてみると自分のポジションがわかっていいだろうと思っていたが、これが、ほぼ最下位ないし最下位グループで、改めての葛藤。やはり最後尾のゴールというのは、達成感はあっても、どうにも不本意で気恥ずかしいものなのだ。

さあてどうする。でも、このあたりから、私にとってトライアスロンは、できないことを確かめるスポーツと思い定めるようになった。トライアスロンをとおして老いと闘うなんて気持ちはもとよりない。老いてできなくなったこと、衰えていくことを両手でさするように確かめる。そこに積極的な意味を見出すようになった。

そんな自分の気持ちを確かなものにしたのが、5月のATAの鹿島槍合宿だった。プログラムの最後にラン~バイク~ランのミニデュアスロンがあり、最初のランで早くも最下位であったが、もう驚かない。そこでひるまない。最後のランに出るときは、すでにレースを終えた皆さんに「待っててよ!」とひと声をかける心の余裕ができていた。そして、悪びれず、素直な気持ちで、応援していただいている皆さんの待つゴールへと、一人笑顔で向かうことができた。皆さんに感謝である。
そんなプロセスを経て心を定め、2009年5月のホノルル大会でデビューとなった。
ホノルル大会を選んだのは、コースがやさしく、時間制限がないので初心者向きであり、アスロニアが主催に加わり、多くの仲間が参加するという理由からだ。特に二人のコーチも参加し、時間制限なしというのが、私には大きかった。

大会当日

大会当日

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まだ暗いなかに続々と人が集まる。だんだんと夜が明けてくる。歓声が湧く。

SEX and the Cityの主題歌、Empire State Of Mind (Part II) を歌うアリシア・キースの「New York New York」と叫ぶ歌声がスピーカーをとおして空に響く。

目の前の女性がそれにあわせて腰を振ってリズムをとる。プオーッとラッパが鳴ってスタート。自分がそこにいることが不思議で信じられず、夢をみているようであった。

「ゆっくり、ゆっくり」と言いきかせながら泳ぎだしたのだが、200メートルも泳がないうちに、緊張のあまりか、なんと過呼吸の発作に襲われた。これは驚いた。苦しくて仕方なく、仰向けに浮いて息を整える。しばらく休んで泳ぎだすがすぐに息がきれる。仰向け背泳姿勢で、キックと手のかきで遅々と進む。
またまた、さあてどうする。

チラリとやめようかとも思ったが、「時間無制限」と自分にいいきかせて開き直った。クロール、背泳の交互で進むが最後尾で、ライフガードがしきりと「大丈夫か?」と声をかけてくる。「大丈夫だけど、方向はいいか?」などと暢気な声をかけあいながらのレースとなってしまった。スイムは最下位で呆然自失。

どうしようか。そこでATAの知久さん、トライアスロンストーリー第1回の中田さんが励ましの声をかけてくれ、ようやく我にかえり、前に進むことができた。こんな具合なので、次のバイク、ランともまったくの一人旅。レースを楽しむ心境とはほど遠く、どちらかといえば物見遊山の観光気分で風景を眺め、淡々とゴールへと向かった印象であった。

よかったのは、なぜか「苦しい」とは思わなかったこと。バイク、ランとも心拍、呼吸は安定して身体の痛みはなく、爽快感すらあった。
困ったのは、大きく遅れていたので、もうコースガイドがいなくなったこと。バイクとランの双方でコースを間違えて引き戻した。ゴールでは、岩田、平野の両コーチと知久さんなどATAの方がたに出迎えていただき、「ああ、なんとか完走できた」と安堵の思いに包まれた。それは確かに嬉しかったが、しかしスイムのつまずきが大きく、「ほろにがデビュー」というのが正直なところ。でも初の大会で、トライアスロンはどのようなものなのか、自分なりにはつかめ、最後尾ではあれ、自分のペースでいけば完走できる手ごたえを得ることができた。

これからもやっていこうと思った。

トライアスリートになってみて

トライアスリートになってみて

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昨年はホノルルを手はじめに、スプリントを含めて5つの大会に出場し、幸いにいずれの大会も、最後尾ながら完走することができた。そのうえで、自分なりに、まだ上達する伸びしろはあるだろうという手ごたえもある。そうしたなかで、大会を目標に練習に向かう暮らしにはハリがあって気持ちよい。練習時間のやりくりや、体調維持など、自己管理を行う緊張感を楽しんでいる。

また、トライアスロンを通して、多くの方々とお近づきになれた。これは予想をはるかに超えるひろがりであった。

はじめてスポーツに本格的に取組み、みるみる友達が増え、自分の目の前の世界の扉が大きく拡がっていった中学生の頃に感じた高揚感を思い起こす。トライアスロンによって、少年時代の、無心で遊ぶ「幸せの実感」を味わえたように思う。

それは他のスポーツでも得られるものであるのかもしれないが、個人で複合種目をこなし、すべての完走者は勝者であるという、トライアスロンならではの特徴、文化が、そうした思いを深めてくれたように、私は思っている。

いま、昨年最後に参加したロタ島大会で痛めた左足の痛みが治まらず、いまだ足をひいている。バイクの不慣れな姿勢から首を痛め、左腕がしびれてペインクリニックでブロック注射を受けている。単なる健康維持からすれば、この年齢にはオーバーワークかとも思うし、親しい友人は心配してくれる。でも、その過酷さも、トライアスロンの魅力と感じている。

ロタでは、バイクのさなかに、身体に打ち付ける雨が痛いほどのスコールに見舞われた。あえぐ口から雨が入ってくる。ランに入ると一転して灼熱の太陽が肌を焼くなかで南国の青い空と海を眺めた。

これもトライアスロンならではの、自分がここで、こうしていることが信じられない、夢をみているような体験であった。

この2月で還暦となった。2年目のシーズンはどうなるかを楽しみに備えている。続けられるだけ、続けてみようと思っている。

これからトライアスロンを始める人たちへのメッセージ

メッセージ

この年齢でスイム、バイク、ランの競技経験はまったくなくトライアスロンをはじめた。そんな私でも、ほぼ1年で大会に出場して完走できるまでになった。

私の実感では、「トライアスロンをはじめてみようか」と思った方は、それだけで、年齢を問わず、オリンピック仕様のレースで完走できるようになる力があるように思う。

やはりスタートはどこかの教室で指導を受けるのが望ましいだろう。いいコーチとの出会いも大きな楽しみだ。次にはじめたらやめないこと。思うようにいかず、できないことも、ありのままに受け入れて、自分をいたわることだと思う。プライドがじゃまをするかもしれない。この歳になれば覚えも悪くなる。いっこうにうまくならないことがストレスになる。

でも私は、トライアスロンは暮らしのありかたであり、暮らしの形は人それぞれであるように、誰もがそれぞれに、できないことを受け入れ、レースに向かっているのだろうと思う。「みんなそれぞれに大変なのだ」。そう自分に言い聞かせて「私のトライアスロンライフ」を楽しんでいる。

ちなみに、ちょうど1年前に東京の大井町から千葉の南行徳に引っ越した。引っ越しは一人暮らしになったためだが、南行徳にしたのは、ATAの南行徳に通っていたからにほかならない。トライアスロンが終の住まいを決めたわけだ。新居は江戸川沿いでバイクとランの練習には最適である。

 

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そんな私の経験をブログにつづっている。タイトルは「58歳トライアスロン始める記」。http://tryathlon.at.webry.info/

ブログをとおして多くの方々に励ましをいただいた。そうした予期せぬ人間関係のひろがりも嬉しい。ご一読いただければ幸いだ。

このブログでは、折々の心境を詠んだつたない俳句もどきを毎回の文末に記している。

そのなかから、トライアスロンへと向かう私の気持ちを率直に詠んだ一句で拙文を閉じよう。

残りの命 励んでみろと 蝉時雨

レースでお会いしましょう。

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